読みました。
この3年間木村氏執筆を中心にあちこちで書かれた記事やインタビューをまとめたものだろうというくらいの認識で読んだのですが、まんまと大泣きしました。
いや実際に、内容としてはその域を大きく出るものではなかったのですが、丁寧に考えられた構成と、それをつなぐ、初めて知るエピソードや発言。全体としてきちんと「物語」になっていました。
その人生の中でオシム監督の人間とサッカーへの深い愛情は築かれ、そしていまでもさらに少しずつ積み重なっていっています。
その人生の一端にほんの少しでもかかわれたことをとても嬉しく思っています。
天皇杯敗退により、早々にJEFの今季が終わりました。
練習も本日で最終日になったそうです。
ずいぶん面白いことをやっていたようで、ぜひ見に行きたかったですが、仕事と重なっていたので無理でした。
私がJEFのファンになってから、なんというか・・・、オフが一番大変、という感じが続きましたが、今年は何がどうなっても、しゃんとした気持ちで新シーズンを待ちたいと思います。
チーム構成がどうなろうと、数十日後に始動するのは、JEF UNITED市原・千葉なのですから。
というわけで、オフに入りましたし、いままで書きそびれてた話だの、総括だの、ちょびちょびやりたいと思います。
まず、いまさらこの話でエントリーあげるのもどうかと思うんで、この辺にひっそり書いておきます。
市原臨海競技場のサイドスタンドの改修工事について。
職場におかれていた千葉日報の表紙に黄色いユニフォームが見えたのでなんだろうと思って読んでみたら、臨海が来年頭から工事に入ると記事でした。
ある程度予想していたはずですが、とてもびっくりして、同時に涙が出るほど寂しかったです。
来年一年間使えないということ、おそらくはもうあそこでJEFのリーグ戦を行うことはないかと思います。
サッカー観戦の環境として整った競技場だとは決して言えませんが、それでもあそこは長年、JEFのホームであり、私はそれほど長い期間ではありませんが、それでも何十回と通い、たくさんの思い出を作ってきた場所です。
深く心に残っている記憶があります。
ひとつめは2004年2NDステージ神戸戦。
5−1で大勝した試合の後、ゴール裏の人の間から手を出し、村井と握手をしました。
結局一度も練習場で声がかけられなかった私のただ一度だけの握手です。
走りぬいた試合の後の手の熱さを今でもはっきり覚えています。
ふたつめは2005年ナビスコカップ準決勝第2戦浦和戦。
前半で第一戦のアドバンテージを失い、ロッカーに引き上げる選手たち。
メインスタンドの手すりにつかまり身を乗り出して、一生懸命ゆっくり大きな声で話しかけました。
「どうしても、決勝に、行きたいんだよ」
私などよりはるかにそれを望んでいる選手たちに、それでも言わずにいられなかった。
試合後、人もまばらになったスタンドの手すりからいつまでも下をのぞいていた私とその他数人に蒲田さんが言いました。
「国立まっ黄色にしましょう!あっちもこっちも向こう3軒隣まで誘っていきましょう!」
笑いながら私は手を振りました。
どちらも臨海だったからこその思い出だと思います。
その臨海のゴール裏が取り壊されます。
私は、短いJEFファンとしてのサッカー通いの中で、ゴール裏住人であったのはさらに短くほんのわずかの間です。
それでも、あのゴール裏が作り変えられ、あそこでJEFの試合をやらなくなるのだとすれば本当に寂しく切ないです。
臨海は市原のアマチュアスポーツの拠点にしたいという意向のようです。
JEFが使わなくなったぶん、高校生や中学生などの下のカテゴリにもどんどん芝生の競技場でサッカーをやってほしいと思います。
もともと選手権は見に行くつもりでした。
その時が、今の臨海との本当のお別れになりそうです。
練習も本日で最終日になったそうです。
ずいぶん面白いことをやっていたようで、ぜひ見に行きたかったですが、仕事と重なっていたので無理でした。
私がJEFのファンになってから、なんというか・・・、オフが一番大変、という感じが続きましたが、今年は何がどうなっても、しゃんとした気持ちで新シーズンを待ちたいと思います。
チーム構成がどうなろうと、数十日後に始動するのは、JEF UNITED市原・千葉なのですから。
というわけで、オフに入りましたし、いままで書きそびれてた話だの、総括だの、ちょびちょびやりたいと思います。
まず、いまさらこの話でエントリーあげるのもどうかと思うんで、この辺にひっそり書いておきます。
市原臨海競技場のサイドスタンドの改修工事について。
職場におかれていた千葉日報の表紙に黄色いユニフォームが見えたのでなんだろうと思って読んでみたら、臨海が来年頭から工事に入ると記事でした。
ある程度予想していたはずですが、とてもびっくりして、同時に涙が出るほど寂しかったです。
来年一年間使えないということ、おそらくはもうあそこでJEFのリーグ戦を行うことはないかと思います。
サッカー観戦の環境として整った競技場だとは決して言えませんが、それでもあそこは長年、JEFのホームであり、私はそれほど長い期間ではありませんが、それでも何十回と通い、たくさんの思い出を作ってきた場所です。
深く心に残っている記憶があります。
ひとつめは2004年2NDステージ神戸戦。
5−1で大勝した試合の後、ゴール裏の人の間から手を出し、村井と握手をしました。
結局一度も練習場で声がかけられなかった私のただ一度だけの握手です。
走りぬいた試合の後の手の熱さを今でもはっきり覚えています。
ふたつめは2005年ナビスコカップ準決勝第2戦浦和戦。
前半で第一戦のアドバンテージを失い、ロッカーに引き上げる選手たち。
メインスタンドの手すりにつかまり身を乗り出して、一生懸命ゆっくり大きな声で話しかけました。
「どうしても、決勝に、行きたいんだよ」
私などよりはるかにそれを望んでいる選手たちに、それでも言わずにいられなかった。
試合後、人もまばらになったスタンドの手すりからいつまでも下をのぞいていた私とその他数人に蒲田さんが言いました。
「国立まっ黄色にしましょう!あっちもこっちも向こう3軒隣まで誘っていきましょう!」
笑いながら私は手を振りました。
どちらも臨海だったからこその思い出だと思います。
その臨海のゴール裏が取り壊されます。
私は、短いJEFファンとしてのサッカー通いの中で、ゴール裏住人であったのはさらに短くほんのわずかの間です。
それでも、あのゴール裏が作り変えられ、あそこでJEFの試合をやらなくなるのだとすれば本当に寂しく切ないです。
臨海は市原のアマチュアスポーツの拠点にしたいという意向のようです。
JEFが使わなくなったぶん、高校生や中学生などの下のカテゴリにもどんどん芝生の競技場でサッカーをやってほしいと思います。
もともと選手権は見に行くつもりでした。
その時が、今の臨海との本当のお別れになりそうです。
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